思い出す、出産のバタバタなんて言うもの。

はてさて。

 

今年6月で人生半分折り返しの50歳を迎えた。

 

なんて言う時期に思い返すは出産のバタバタ。

娘は今年で23歳になった為、それは23年前なんだなぁ…はえはえー。

 

平成7年の7月生まれの彼女。

 

たしか私は9日が予定日だったが、あの年の7月出産予定の妊婦はほぼ7月7日に産む!と言う気持ちで燃えていた。

まるで富士山、いやエベレストに挑む登山家の様な強い意志で「目指すはスリーセブン!」が合言葉の如くゴールに突き進む。

はい。

突き進みましたよ。

そりゃ、そーね。産み年はイノシシね。

「イノシシ年の娘を産むのかぁ…」って思ったね。

 

かく言う私は2人目の出産だったんですが、上の子の出産から空くこと8年!!!

心は初産ですわ。

 

な、の、に。

検診に行くたびに「経産婦さんだからね!」と初診から言われ続けること7ヶ月。

まぁ、8年空いたのには理由もあって子宮内膜症で2人目不妊でしたが!

まぁ、色々頑張って見事ご懐妊。

めでてぇ、めでてぇ。

お金かけて、気力体力使ってのご懐妊。

かつての夫は喜んだ。

 

だがしかし。

金かけて、気力体力使ってのご懐妊だったが

喜びかけたら「はい、つわり。」

 

これが尋常じゃない。

100均の小さなゴミ箱を常に持ち、そこへ唾を吐く吐く吐く。

気持ちはシ◯ナー中毒。

 

マジかよ、ふざけんなよ、と何度自分の腹に言ったことか。

体重は減り、当時の私は43キロくらいだったが見事に38キロくらいになりヘロヘロ。

お陰でつわりが終わった後の体重増加が10キロ超えてもお咎め無しだったけどな(笑)

 

そして迎えた産み月。

職場(病院)の給料の締めが20日〆だったので

6月20日まで働き、「ちょっと産んできまーす!」、、的に退職。

何度も逆子になり、体操で治すを繰り返し最後の検診で正常位に!

思えばこの時期から変わった子だったのね。

 

そしてヤツはやってきた。

陣痛だ。

はじめは「…?痛いのか?」「これ来たか?」からのスタート。

次第に定期的に痛みはくるが「こんなもんか?これでええのんか?」自問自答。

何しろ8年ぶり。

記憶は曖昧。

だけど思い出補正いや、思い出強調。

 

「こんなもんじゃ無かったよな?」

 

そう。人間久しぶりだと経験したことの記憶も曖昧。

いや、でも私はナース。キリっ!

適当な所で連絡しないと怒られる。

 

そして電話。

「え?すぐ来て!経産婦さんなんだから!」

ですよね。

はい、怒られた。

車で10分、産婦人科に着き診察を受け速攻入院の流れ。

やっぱりね。ですよね。

陣痛の波形と赤ちゃんの心音がわかる機械をつけたのが23時。

病室のテレビでニュース23が流れていて、かつての筑紫哲也氏が「こんばんわ」と私に挨拶してくれた。

機械を外し、内診してくれた助産師さんが「柔らかいから明日の朝からいかなー? 何かあったら直ぐ呼んでね?」なんて優しく笑いながら言って病室を出て行く。

 

何か…って?

とりあえずこのまんまかーい。

定期的にくる痛みもまだ7〜8分間隔。

 

「そっか、確か死にそうなくらい痛かったっけ!こんなもんじゃ無かったわ。」

妙に自分で納得。

 

それから少しづつ痛みの間隔が狭くなってきても痛いけどな、いやもっと痛かったぞ?

もう無理やん。死にそうなくらいだったやん。

まだだわ。痛いけど。いや、まだだわ。

 

明らかに痛い→いや、まだ我慢できるし。→痛い→いや、こんなもんじゃ無かった。

 

魔のループ。

 

その頃には多分2〜3分間隔だったような気がする。今思えばオーマイガッ。

 

そして。

 

ブチン!!!!と、音がした。

からーのー、お股からお水がジャー。

 

「破水やん!!!!」

マジかよ!とナースコールで呼ぶとコールの向こうから「チっ」って舌打ちが聞こえた。

…ような気がした。

 

見に来た助産師さんが内診して

「もう全開じゃーーーーん」と呟く。

 

はい、すんません。

だって我慢出来たんだもん。

いや、すごく痛かったんですよ?

でも、こんなもんじゃない。こんなもんじゃない。のループに思考は乗っ取られて呼ぶ機会を逃してしまいました!はい!ごめんなさい!

 

そしたら助産師さんが「じゃあすぐ来て!」と病室のドアを開けて待っている。

 

…え?歩いて行くんですか?

 

「早く!」

 

…ま、じ、ですか。

 

 く、車椅子とか?

ストレッチャーとか?

ないんですか?そうですか。

 

ノロノロとベッドから立ち上がり、廊下に出る。

…と!

来る!

来てる!

やべえ!

降りて来てる!

ズンズン降りて来てやがる!

 

もちろんベイビー。

 

その頃には陣痛がMAX。

 

痛い!

いきみたい!

痛い!

いきみたい!

 

次の魔のループきたー!

 

病室からたかだか3メートル位にある分娩室までの距離が果てしなく遠い。

もうホップ、ステップ、ジャーーンプ🎶

を2回くらいしたら着くのに!

 

今の私には先の見えないトンネルほどの魔空間。

それなのにいきみが来る。

止まる。

深呼吸。

落ち着く。

歩く。

降りて来る。

お股を手で押さえる。

痛い。

いきみが来る。

 

3メートル先の分娩室のドアを手で押さえて開け待っている助産師さんが叫ぶ。

 

「そこでいきまなーーーーい!!」

 

この人、ドSだ…。

 

多分時間にしたら2.3分だったろうけど

股間を押さえながらの私には2.3時間に思えましたがな。

 

やっとこさ分娩室にたどり着いたら

「はい!そこ上がって!足開いて!」

 

次々と指示が来る。

「今1人、なかなか出て来ないから一旦陣痛室に移ってもらったから!」

 

マジっすか。

一旦はけてもらったんですか…( º口º )〣

 

すいません!

すいません!

こんなゲリラ分娩ヤローですいません!

 

分娩室の椅子も、今なら自動でね、

座ったらウィンウィーンって勝手に動いて足開くのよね。

でもほら、20年も前ですから、自分で乗って自分で開いて、自分で足置き場に乗っけるわけですよ。

いきみと、痛みと、なんか分からない叱咤激励の間に何とか台に上がると…

 

はい、来た!

いきみの高波。

いや、これはもう津波

 

「待って!待って!まだ待って!」

 

やはりドSですね。

 

でも、もう無理です。

来てます。

いきみます。

 

気持ちはガンダムに乗り、宇宙空間に戦いへ飛び立つアムロ.レイですよ。

私のお股で叫ぶドS、いや助産師さんの言葉に始めて逆らい思い切りいきんでやりましたわ。

 

二回、いや三回?

勝手に来るいきみ。

言い方悪いけど、誰もが例える

恐竜並みのウ◯コをだしてやりましたよ!

 

ギャっ!

 

入院して筑紫哲也氏から挨拶されて3時間。

強い痛みは正味20分もあったんだろうか?

 

余程この世が良いと思ったのかい?

勝手に出てきたねぇ。

 

そう。

彼女は勝手に出てきた。

まさに自分の意思で。

 

これは、先が思いやられる。

 

勿論、分娩に間に合わーずの先生が来て

「まぁ、元気に泣いてるねー」

なんて話を振られたんだけど

すかさず助産師さんが

「あれは違うベイビーです。◯◯さんのベイビーは沐浴で爆睡です」

とぶっちゃけられた。

 

さすがだよベイビー。

風呂に入って爆睡なんだね。

いい湯だね。

 

結局、平成7年7月4日に出て来たね。

フライングだよ。かなりの。

 

バリバリの日本人だよ?

なぜ、アメリカ独立記念日なのか。

 

面白い。

 

この子は楽しませてくれる予感。

 

 

そして今、愛犬を横に従え

半目を開けてキャミソールとパンツで爆睡している22歳の愛娘を見て思うのです。

 

この子は楽しませてくれるwww

 

#出産の思い出

#愛娘